「探偵さん」


ウィリアムとルイスが似ていることに疑問を持つシャーロックの話。

野暮用があると大学に向かったウィリアムを待つため、ルイスは駅前にある適当なカフェに入った。
真新しい看板を超えた先はある程度混み合っていたが、それでも席はまだらに空いている。
ルイスはそのうちの一つに通され、メニューを見ることなく案内した女性にオーダーを頼む。
少し温かくなってきたとはいえまだ肌寒いダラムの気候に合わせて、ルイスが注文したのはホットのミルクティーだ。
普段ならば兄同様にストレートを好むのだが、今日は何となくミルクの風味を味わいたい気分だった。
ここでいくらか時間を潰し、ウィリアムが戻った後には汽車に乗ってロンドンで待つアルバートの元に帰る予定だ。

「お待たせしました」
「ありがとうございます」

紅茶の入ったポットとカップとともに置かれたのは、木葉型をした小さな焼き菓子が二枚。
特に頼んではいないが…と思い顔を上げれば、年若い女性がはにかむように微笑んでいたから、これはきっとそういう意味なのだろう。
二つの意味で礼を言って、ルイスは兄譲りの完璧な笑みを彼女に返す。
頬を染めて、ごゆっくりどうぞ、と奥に帰っていく後ろ姿を見送ることもせず、手元のポットからカップに紅茶を注いで一口飲んだ。
程よく温められたカップにより紅茶の温度が下がることもなく、茶葉の香りがそのままルイスの鼻腔を擽る。
でもどこか薄く、いや茶葉とミルクの風味が合っていないような気がして、音を立てずにソーサーにカップを返す。
これならば、自分で淹れた方がよほど香り高く美味しいものになる。
先ほどの女性といい褒められたものではない紅茶といい、この店にはもう来ることはないだろう。
良い色合いで焼かれた菓子にも興味を削がれたルイスがふと壁にかけられた時計を見れば、兄が来るまであと一時間ほどだ。
本でも読んで時間を潰そうと、ルイスは兄に薦められた本を手に取った。

「よぉ、ルイス・ジェームズ・モリアーティさん」
「…!」

そうして本を読み始めていたのだが、まだ話に熱中するほどでもないページ数しか進んでいない頃。
目の前の席に、見慣れた金ではない青みがかった黒が座る姿が目に入る。
その人物が誰か思考を巡らすまでもなく、ルイスは本を持つ手に力を込めた。

「シャーロック・ホームズ、さん…!」

机を挟んだ向かい側に腰を下ろしたのは、紛れもなく兄と、そしてモリアーティとしての敵であるシャーロック・ホームズその人だった。
彼を認識した途端に警戒ゆえ眉が吊り上がったルイスを見て、シャーロックは楽しそうに口角を上げた。

「奇遇だな、こんなところで」
「…そうですね」
「一人か?」
「えぇ…あなたもお一人ですか?」
「あぁ。なら丁度いい、相席頼むぜ」
「…どうぞご自由に」

鋭く自分を観察するその視線に呆れるほどの嫌気を感じながら、ルイスは努めて自然を装って言葉を返す。
彼は兄であるウィリアムを犯罪卿だと疑っている。
いや、間違いなくイコールであると確信しているに違いない。
それでも確固たる証拠がないからと、直接兄に揺さぶりをかけてきたことは記憶に新しい。
シャーロックがここでルイスを見かけたのは偶然だろうが、わざわざ声をかけてきたのは兄よりも弟である自分の方がボロを出しやすいと考えたのかもしれない。
舐められたものだ、とルイスは顔には出さずに彼を見た。
ウィリアム程ではないにしろ、目の前に座るこの人間の頭が切れることは重々承知だ。
隙を見せて何かを気付かせれば、今後にどんな支障が出るかも分からない。
兄の計画に穴をあけるなど、ルイスにとっては耐えがたい屈辱である。
ルイスはウィリアムの弟であるという誇りを胸に、ミルクも砂糖も入れずにコーヒーを飲むシャーロックから目を離さなかった。

「モテるんだな、あんた」
「…は?」
「どうしてかって?その焼き菓子、頼んだものにしちゃ量が少ない。ここは紅茶よりも菓子かコーヒーを売りにしてる店だからな。菓子を頼めばそこそこの量が出てくるんだよ。それなのに、あんたの前にある焼き菓子はたったの二枚。盛り付けが崩れていないところを見れば、あんたが食べて量が減ったんじゃなくて元々の量が少なかったことが分かる。おそらく店からのサービスだろ。それにさっきからあの嬢ちゃん、あんたのこと見てるしな」
「…だから何です?」
「別に何ってほどでもねぇよ。どっちにしろ、ここの紅茶はあんたの口には合わなかったみたいだし、あの嬢ちゃんも望み薄だな」
「…」
「ほとんど減っていないカップの紅茶の湯気が出てないってことは、口に合わなかったんだろ?さっきも言ったように、ここは紅茶よりコーヒーの方が美味いぜ。残念だったな」
「…ありがとうございます。次の機会にはコーヒーを頼むとしましょう」
「はは、もう来る気なんてないくせによく言うぜ」

淹れたてで熱いだろうコーヒーを、そんな気配を感じさせずに飲むシャーロックを見て、ルイスは心が苛立った。
兄に一目置かれるこの男、それだけの価値があると認めざるを得ない。
犯罪卿についての話にならないことを喜ぶべきか、それともこの日常に紛れた会話の中で何を探っているのか推論すべきか、はたまたその両方なのか。
咄嗟の判断力に欠けるルイスとしては結論が出せない。
悩むくらいならいっそ殺すべきか、と端的に思考を終わらせようとしたルイスの耳に届いたのは、少し疑問を感じさせるシャーロックの言葉だった。

「それにしても…ルイス、さん。あんた養子だろ?」
「…それが何か?」
「モリアーティ家の前当主が”貴族の務め”で迎え入れた孤児…だったんだよな?」
「…えぇ」
「同時期に迎え入れたもう一人の養子は、屋敷の火事で死んだんだっけか」
「よくお調べですね」
「職業柄調べるのは得意だからな。に、しても…へぇ」
「…何か疑問でも?」

じろじろとルイスの顔を見てはどこか納得のいかない表情を浮かべるシャーロックに、ルイスは分かりやすく眉を寄せた。
そんなこと、調べればいくらでも出てくるし今更隠し立てすることでもない。
二人の兄と綿密に設定を練ってきたのだから、そこからボロなど出るはずがない。
一体何がそんなにも彼の琴線に触れるのか理解できないとばかりに、ルイスは風味の狂ったミルクティーを口に運んだ。
やっぱり風味はどこかおかしくて、冷めていたせいで香りもほとんど飛んでいたことに、ルイスの苛立ちはより増した。

「血が繋がっていない割には、あんたとリアム、似てんな」

カップから口を離した瞬間に聞こえたシャーロックの言葉に、少しだけ心臓を鳴らせて無礼にも音を立ててカップを置いた。
ルイスの、というよりも養子ではあるが貴族の彼が起こした失態に、シャーロックはまたも違和感を持つ。
そうして改めて目の前の彼をじっと観察した。
金の髪は兄よりも少しだけ深い色をしているが、髪質はよく似ているように思う。
顔の輪郭や耳、鼻や口元もそっくりだと思えばその体格も瓜二つだ。
恐らくは兄であるウィリアムの方が数センチばかり高いだけで、細身でありながら引き締まった体型は血の繋がりを感じさせる。
何よりも、その目元。
ウィリアムは常に他者を寄せ付けない仮面めいた笑みを浮かべているが、ルイスも似たようなものだ。
他者を寄せ付けない生真面目な表情は、種類が違うだけで根幹は兄と同じように思えてならない。
涼しげで感情を見せないその瞳は、色合いが薄いか深いかの違いしか感じられなかった。
平たく言えば、ウィリアムとルイスの姿はよく似ているのだ。
目元に関して言えば、ルイスの方が多少瞳が大きいことを除けばほぼ同じと言って良い。
観察を得意とするシャーロックがそう断言できるほどには、彼ら兄弟はそっくりなのだ。
血の繋がりがあるのならば納得できるこの容姿は、ルイスが元は孤児であったことを考えるとどうしても違和感がある。
シャーロックは自分の観察が間違っているとは思わないし、それだけの自信を持てるほどにはこの眼と推理力を鍛えてきた。
だからウィリアムとルイスの二人の血が繋がっていないことに納得するなど、半端な説明では到底できそうにない。

「…そんなに似ているでしょうか?」
「癖は同じ家で生活していれば自然と似通ってくる。髪も歳取れば色も変わるし質も変わるから、似ることもあるかもしれねぇ。だけどな、輪郭、骨格、耳、口、鼻、目は生まれ持った特徴だ。変えることは出来ねぇ」
「そうですか」
「でも今言ったパーツ全部、あんたとリアムはよく似てる。特にその目、そっくりだな」
「…ただの偶然では?」
「偶然にしちゃ出来すぎてるんだよ」
「私はあなたが言うように孤児でした。たまたまモリアーティ家に拾われただけの、何の取り柄もないただの人間ですよ」
「へぇ…?」
「例え私が養子ではなくモリアーティ家の実子だとして、それを偽る理由がどこにありますか?」
「…色々思い浮かぶぜ。色々、な」
「そうですか…では…」

目が似ている、と言って瞳を閉じるのはシャーロックの言葉を暗に肯定しているようなものだ。
伏せた瞳から視線を逸らさずに、彼はルイスの整った顔を見た。
そうしてルイスは自分に注がれているであろう視線にたじろぐことなく、ゆっくりと瞳を上げて僅かばかりに首を傾げてシャーロックを見やる。
自分はウィリアムの実弟だと、兄ほど巧妙には出来ずとも仕草一つ持ってして相手を翻弄するだけの力があると、明確な自負を持ってルイスは目の前の男と対峙した。

「僕とウィリアム兄さん、実の兄弟なんですよ。諸事情で隠してはいますが、僕ら二人が孤児なんです」
「…!」
「あなたはこんな答えが欲しいのでしょう?…探偵さん」
「…ははっ」

ふふ、冗談ですよ、本気にしないでください。

そう言って優雅に微笑むルイスは、どこかその兄を思い出させるような笑みを浮かべていた。
シャーロックはウィリアムに比べれば格段に威圧感のない、それでも圧倒させるだけの迫力があるそれにぞくりとした高揚感を覚える。
同じ家で生活を共にしていればその性質は似てくるだろう。
だがこの顔と表情は、そんなチープな説明で片付けられるものではない。
どういう理由があるのかは分からないが、この話題はきっとどこかで”犯罪卿”という存在に繋がっているはずだ。
シャーロックは頭のどこかでそう確信して、話を続けようと口を開いた。
もしウィリアムとルイスが本当の兄弟であるなら、何故それを隠す必要がある?
本当に二人とも孤児だとすれば、かつて死んだという養子の三男はどう関係している?
嫡子である人間との関係を正しく表現するのならば、それは一体どういうものになる?
このモリアーティという貴族における三人の兄弟は、一体この英国で何をしようとしている?
兄よりも格段に脇が甘いであろうこの弟から、得られるものは全て得るべきだ。
シャーロックがそう瞬時に判断した、そのとき。

「お待たせ、ルイス」
「兄さん。早かったですね、用事は済んだんですか?」
「あぁ。待たせてごめんね、ルイス。…おや、これはこれは、誰かと思えばホームズさんじゃありませんか」
「…リアム。久しぶりだな」
「えぇ。こんなところで奇遇ですね。弟が何かしましたか?」
「いや、ただ楽しくお話してただけだよ。なぁルイ」
「ルイ…!?いえ、まぁそうですね。何も面白いことはありませんでしたよ、兄さん」
「そう…」

身を乗り出していたシャーロックが、ウィリアムの登場に時間切れだとばかりに背もたれに凭れて両手を上げた。
使用人がいないらしいモリアーティ家での執務一切を引き受けている養子の末弟が、こんなところでのんびりお茶を楽しむはずがないことなど、始めから分かっていた。
だがまさかこんなにも早く待ち合わせの人物がやってくるとは、運が良いんだか悪いんだか分からない。
シャーロックは目の前にいるウィリアムとルイスを見て、血の繋がりを訴えかけてくるその容姿にまたも口元を歪めてコーヒーを口に運んだ。

「これから出かけるんだろ?ロンドンで働いてるっていう長男さんのところか?気を付けて行ってきな」
「…えぇ、それでは失礼します。弟のお相手、ありがとうございました」
「ホームズさんもお気をつけて」

嫌味のように言われたウィリアムの言葉にシャーロックが閉じていた瞳を開ければ、張り付けた笑みを完璧に浮かべる彼がいた。
ただ、弟とよく似た目元だけは笑うことなどなく、ひたすらにシャーロックを見据えている。
まるで、弟に近づくな、と暗に訴えているようだ。
その兄の目に気付いていない様子の弟は、早くこの場を立ち去ろうと彼の腕を掴んで歩みを促している。

「(あー…なんつーか、こりゃ見た目だけじゃなくて…)」

中身も相当似ているらしい。
シャーロックがそうプロファイリングしようとした矢先、振り返ったウィリアムが隠そうとしていない苛立ちを携えた笑顔で彼に声をかけた。

「あ、そうそうホームズさん」
「あ?」
「今後、弟のことをルイと呼ぶのはやめてくださいね」
「…くっ、ははっ!」

ウィリアムのその言葉で確信した。
おそらく、シャーロックとルイスの会話の終わりは聞こえていたのだろう。
これはもう似ているどころではない。
こんなにも過ぎた兄弟愛と執着が、たかが養子の末弟に抱く感情のはずがない。
何の理由があって偽りの関係を公的にしているのかは分からないが、その謎を解くことが犯罪卿へ近づく一歩になるのかもしれない。
だがあの男のことだ、シャーロックがそれに気付くことを承知で牽制をかけてきたに違いない。
それが意味するのは、解いたところで得るものなどない、ということだろうか。

「はっ…上等だぜ、モリアーティ。この俺がおまえらの正体、暴いてやろうじゃねーか!」

ガンッ、とカップを勢いよく叩きつけたシャーロックがベイカー街に帰るため会計を済ませようとしたとき。
未払いで帰っていったルイスの分の会計も払うよう、彼に恋患う女性に詰め寄られたことを知るのは本人以外には誰もいない。


(ルイス、彼と何を話していたんだい?)
(いえ、特に目立ったことを話していたわけではありません。すぐに兄さんも来ましたから)
(本当に?)
(はい。あぁ、でも、そうですね…少しだけ、嬉しいことを言っていました)
(嬉しいこと?どんな?)
(養子であるはずの僕と兄さんがよく似ていると、そう言っていました)
(あぁ、だからルイスにしては珍しくあんな挑発をしていたのか)
(下手を打ってはいないと思いますので、ご安心ください)
(そんな心配してないよ)
(…正直、シャーロック・ホームズについては良い感情を持っていません。大きな脅威になるくらいなら、早々に片付けてしまった方がいいと今でも思います。ですが…)
(うん?)
(兄さんと似ていると言われたのは、嬉しかったです)
(…彼の観察眼は油断できないからね。偶然にしては似すぎている、とでも言われたかな?)
(はい)
(まぁ彼がそう感じるのも無理はないのかもしれない。実際、僕とルイスはよく似ているしね)
(あまり指摘されたことはありませんが)
(誰が見ても似ているものを、改めて「似ている」なんて言う酔狂な人間は彼くらいだからね)
(なるほど、それもそうですね)
(ところでルイス。彼にルイなんて呼ばれてたのかい?)
(え?いえ、あれはあの一回きりですが)
(そう…それならいいけど)
(兄さん?)
(あぁ、うん。何でもないよ、ルイス)
(はぁ…)

のらくらり。

「憂国のモリアーティ」末弟中心ファンサイト。 原作者様および出版社様、その他公式とは一切関わりがありません。

0コメント

  • 1000 / 1000